アイドルという存在について

四部作、ついに今日本当の意味で完結しましたね。発売おめでとう!ドキュメンタリーの感想を書きたかったのですが、それにあたりアイドルの宗教性についても考察しました。滅茶苦茶長いですが、私自身何度も考え、思いを込めて書きました。読んでいただけたら嬉しいです!

メンバーの発言等は正確ではなく、ニュアンスとして受け取っていただきたいです。また、あくまでも「私がこう思った」だけなので、全く見当違いなことを書いてしまっている部分もあると思いますが、ご了承ください。

 

2月7日、NEWS LIVE TOUR 2020 STORY Blu-ray&DVDのフラゲ日前日。私は、ずっと放置し続けついに締め切り当日になってしまった表象文化史のレポートを書いていた。出されたテーマは「広義のポピュラー音楽について、授業で扱った諸概念に触れながら論じなさい」ロックを取り扱わないといけないと思っていたのだが、広義で良いとあったので申し訳ないと思いつつ今回もジャニーズ音楽を題材にさせていただいた。本当にギリギリにならないと本気が出ないという悪い癖があるので、0時ぴったりに締め切りの3000字のレポートを17時半くらいからダラダラと取り掛かり始めるというかなりまずい状況だったが(馬鹿すぎる)、1分前に提出した。ギリギリすぎて表紙をミスったので単位を貰えるかはわかりません。もらえることを祈っています。

SixTONES「うやむや」か、NEWS「チュムチュム」か「LVE」で迷い、なんとなくサウンド史の諸概念とやらをこじつけて書けそうな道筋が立ったのが「LVE」だったため、それを選んだ。「LVE」は2018年リリースの「『生きろ』」通常盤に収録されている。歌う部分は非常に少なく、殆どがポエトリーリーディング(朗読)で構成されている。そこで語られる言葉も、歌を歌わないことも、私にとってはかなり衝撃的な楽曲だった。

簡単に私がレポートで書いたことをまとめると、①この楽曲の構成 ②ポエトリーリーディングの生み出す偶然性やそこに込められた精神について ③「LVE」における「『コンセプト・アルバム』というコンセプト」の二重構造について という感じである。これを読んでくれている方はさっぱりだと思うし、私も正直全く理解していないのにもかかわらず時間がなさ過ぎて適当に書いたため、トンデモ理論になっていると思う(なので本気で単位の心配をしている)

今触れたいのは③だ。「『コンセプト・アルバム』というコンセプト」というのは、ビートルズがライブで演奏することを想定していない音楽や、自分たちではなく架空のバンドが演奏しているという設定で曲を作ったことを指している。これと関連して、「LVE」ではNEWS自身(=ビートルズ)が「アイドルのNEWS(=架空のバンド)」を作り上げるという二重構造が見られるのではないか、というようなことを書いた。ちなみにこれは無理矢理こじつけたので全く理解できないと思いますが今からする話にはそんなに関係ないので大丈夫です。ライブでの演奏については、実際にされているしむしろされることが目的なのもあったのではないかと思っているので、「LVE」はどうしたって「アイドルのNEWS」が歌うものになるため、「実際のただの人間であるNEWS自身が歌うことはできない」という意味で「ライブで演奏できない」というふうに落とし込みました。マジで何言っているかわかんないですね。すみません。

「LVE」の由来は、「LIVE(生きること)」から「I(=愛)」を取る、また「I(=愛)」を取る=アイトル=アイドル、というものである。前者は、一番の増田・小山パートである

「愛がなくては生きていけない

希望がなくては前に進めない

信仰がなくては悪意に

勝つことはできない」

の歌詞にある「愛がなくては生きていけない」ことをまさに表わしている。

後者の「アイドル」という概念については、ライブ演出から読み取ることができる。曲が始まると円柱型をしたモニターが降りてきて、NEWSの姿は完全に見えなくなる。私たちはモニターに映る姿しか見ることができない。本当に彼らはそこにいるのかどうか、誰にもわからない。アイドルは生身の人間でありながら、その姿はどこまでも作り上げられた虚像で、実存しない。

ではそんな虚像である彼らを見るにはどうしたらいいか。それは、信仰することだ。彼らは確かに目の前にいるのだと、誰に何を言われてもそう信じること。また、アイドルは先ほど触れたように「愛を取る」存在であり、ここでもファンや彼らを支え、成立させる人々からの愛がなくては生きていけない、のだ。

だから、私たちの愛は一方通行ではなく確かに届いているはずだ。しかし、彼らを愛するには彼らの存在を、彼らの言葉を、ひたすらに信じ続けないといけない。

アイドルは、その中でも特にNEWSは宗教だと私は思っている。ファンの中でもそう言う人が多い気がする。

アイドルは宗教であるというのは前述した「ひたすら信仰する」という理由から言えるとして、NEWSが宗教っぽいと漠然と感じる理由は何だろうか。ひとつはどこまでも内輪向けなことをやり続けるというか、わかりやすく言うと「ジャニーズの王道ではない」「ジャニオタ受け(または一般受け)しない」ことをしていることだと思う。ジャニフェスの「未来へ」が記憶に新しいが、他のグループが派手な特攻やかっこいい振りの曲を披露する中、ファンにしか意味が伝わらないパッチワークの衣装を着て歌のみを届けるNEWSは何というか、異様だった。(加藤さんはスベったと思ったらしい。スベってないよ!!むしろ評判かなり良かったよ!!)単純にあまり世の中で理解されないものを好んでいるという点で宗教っぽい。私は4人からのファンだが、それ以前のNEWSも好きだし普通に見たり聴いたりする。以前のNEWSはむしろ王道ど真ん中のジャニーズアイドルだったように思うので、特に4部作が始まり加藤さんと増田さんの独特の世界観が前面に押し出されるようになってから、この意味での宗教らしさが増したのだろう。

もう一つは、色々あったため普通にグループとして活動してきた以上の物語を背負いすぎているということである。9人のまま誰も減らず、何の問題も起きなかったら、こんなに物語性は生まれていないと思う。物語を全て背負い進んでいるために、何をしても色々な意味が付いてきてしまうのもきっと大変だろうな。何度も何度も再出発してきたが故の気迫とか、それでもNEWSを信じて応援し続けるファンの姿は宗教っぽいなと感じている。

 

ここで補足するのを忘れてしまっていたが、「信仰がなくては悪意に勝つことができない」という言葉通り、ネット上に溢れるデマや攻撃、嘘の情報に惑わされないで、ここにいる僕たちを信じて、というあの時大変だったNEWSと彼らを近くで支える人たちの叫びもこの曲には含まれていると思う。しかし今回は「宗教とアイドル」について考えたいのでいったん置いておきます。この曲を作ってくれた人たちがNEWSの周りにいてくれること、本当に嬉しいし物凄く愛されている。

 

虚像と信仰についての話に戻るが、昨日レポートを書きながらいろいろなことがわからなくなってしまった。

アイドルは実際にその姿を見ることも声を聴くこともできるけれど、そのアイドルがそういう人間であるということはイコールにはならない。だから結局、虚像である彼らを信仰し続けることは何かの救いになるのか?それって虚しいだけじゃないか?って。

それでもNEWSが4部作を通して伝えてくれたのは、アイドルとファンの間の愛は存在するんだってことだって自分の中では落ち着いたんですけど。

でも何となく腑に落ちないというか、うーん…と思ってしまって。私は人の意見にとても流されやすくて、ここで私の意見として書いていることも、無意識に今まで読ませていただいた他のファンの方の考えや言葉に影響されている。そして必要以上に感情移入してしまうため、しょっちゅう落ち込んで考えて、自分の精神を削るような感覚でオタクをしている。単純に顔がかっこいい!曲が良い!みたいなテンションで応援できたらなと思っているが、私はNEWSのメンバーと同じかそれ以上にNEWSの物語と彼らが創る世界を愛しているため、色々考えないのは不可能である。ちょっとここ数日考えすぎて落ち込んでいたのもあって、私の思うアイドルは存在しなくて、結局彼らを応援することを一番に考えたりするのって意味がないことなんじゃないかって思っちゃったんですよね。

 

そんな思いを持ちながら、先程届いたSTORYのドキュメンタリーを見た。そうです、ここまでは盛大な前振りであり、私がしたかったのはこのドキュメンタリーの話なのです…

どうしても気になって仕方がなかったので、NEWSのおすすめの見る順番を思い切り無視して最初にドキュメンタリーを見た。あまりにも胸がいっぱいになりすぎて、MCダイジェストも見たい気持ちをぐっと抑えてこの気持ちが薄れてしまう前にブログを書いている。

なんか…こんなに誠実に向き合ってくれる人たちに、私たちはどう恩返しをすればいいんだろう。こんなにたくさんの思いを背負って、それでも笑ってくれる人たちにどうやって応えればいいんだろう。加藤さんが「見に来る人たちは色んな思いを持ってここに来ると思うから、僕たちは強くいなきゃ」って言っていて泣いた。そんなことないよ。一番辛いのはNEWSで、その中でも特に傷ついたのはきっと加藤さんでしょう。なんでそんなに優しいの。あの日から、手越くんの名前を呼ぶことすらできない、「金髪」と言われただけで固まってしまう加藤さんのことを思い出して苦しかった。

小山くんが終始優しくて、柔らかくて、私はきっと小山くんがいなかったら3人になった時にファンを続けられなかっただろうなと思った。数年前、小山くんが一番大変だった時、「他の3人はしっかり役割があるのに、小山は客席煽ってMCするだけじゃん」という愚痴垢の意見をたまに見かけていたことを思い出した。ドキュメンタリーを見て、何もかもが間違っていると思った。「客席を煽る」タイミングや言葉を考えるのは、つまりファンがその時どんなことを考えていて、どんなことを言ったらより盛り上がれるのかを考えるということだ。ファンのことを置いていかないこと、それはコンセプトの強い世界観を見せることを重視するNEWSにとって、きっとすごく大事なことだ。最近、特に小山くんがファンの気持ちや求めているものを理解しすぎていてびっくりするが、こうやってずっと私たちのことを考えてきてくれたんだなと嬉しかった。

ここ数日、かつてここにいた手越くんのことについて考えていた。私は、手越くんは正義感が強いために常に目の前の人を放っておけなくて、自分が何とかしてあげたくて、そこにいる人だけに150%の愛を注ぐ人だと思っている。だから同時に自分の横や後ろにいる存在に気づかない人でもある、と。対して小山くんはみんなに優しいから、50%くらいの優しさを全員に平等に注ぐ人で、それはつまり全力でひとりに向き合うのは不可能であるということだと考えていた。どっちが良いとか悪いとかいう話ではなく、私は勝手にそう思っていた。どちらも好きだ。でも、小山くんってやっぱり物凄く優しいなと思った。絶対に誰も置いていかない。それが果たして個人に向き合っていることになるのかはわからないけど、煽りやつなぎの言葉を一生懸命考える姿を見ながら、NEWSにとって一番大事な役割を担っているのは実は小山くんではないかと思った。

手越くんが好きだった私は、ドキュメンタリーを見て本当にどこまでももう彼らの心は隔たったところにいるのだと感じて少し苦しくなったけど、「どうしても聴こえてきてしまうもう一人の声がある、でもそれに重ねて歌っていく」と言ってくれていて救われたよ。なかったことにしないでくれてありがとう。

増田さんはもう本当に…私はNEWSのことがすっごくすっごく好きだけど、増田さんには一生勝てないなと思う。まあ小山さんと加藤さんにも当たり前に勝てないのですが…

増田さんが物凄い情熱とこだわりを持って衣装や演出を作ってくれているのはずっと前から知っているのに、見るたびに驚く。ステージに上がる時の一瞬の照明の色やタイミングですら、どうやったらNEWSが一番かっこよく見えるのかを常に考えている。細かすぎて、私には違いが全くわからないくらいだった。

「人生で初めて観に来たライブがNEWSだっていう人がいるはず。その人の人生にこのライブを刻み込みたい」と話す姿を見て、ぐっときてしまった。私もその一人だから。アイドルなんて全く縁がないと思っていたのに、勇気を出してファンクラブに入って行った人生で初めてのライブが四部作最初のNEVERLANDだった。強烈に刻み込まれすぎて、もう二度とあの世界に行けないことがあまりにも悲しくて、映像を見ることすら意を決さないとできなかった。今でもできない。大好きで毎日毎日読んでいた世界に一冊しかない本が、もう二度と開くことができなくなったようだった。NEWSを好きになってから、私の人生に刻み込まれるのはNEWSのことだらけだ。こんなにたくさんの世界に連れて行ってくれてありがとう。

3人は何度もファンへの感謝や愛を口に出してくれていたし、例え出さなくてもライブに臨む姿勢から十分伝わってきた。初日の横アリで出口から登場する直前の3人の表情、滅茶苦茶かっこよくて震えた。何度も挫折しながら、この日のためにずっとずっと準備を重ねてきた自信のある人だけができる、美しい顔だった。

 

先程の「LVE」の話に戻ろう。アイドルはやっぱり、虚像だ。どんなに好きでもその人に添い遂げることはできない。いつ姿を消してしまうのかもわからない。それでも、このドキュメンタリーを見て、彼らを信じ抜くことは絶対に無駄なんかじゃないと思った。私たちの思いや声はきっと届いている。

「どうして形を求めるの?

近くにあるよ いるよ 気付いてよ」

「それでも形 求めるの?

それなら君を 抱きしめる」

4人で作詞作曲をした「クローバー」の、小山くんが作ったパートだ。ああ、なんだ。こんなに前に、彼らから言ってくれていたじゃないか。どうして気付かなかったんだろう。

ドキュメンタリーの中で加藤さんが、こんな世の中になり直接顔を合わせることができなくなって、「あれ?俺のファンの人どこにいるのかな?という気持ちになるんですよね」とちょっと困ったような寂しそうな何とも言えない表情で話していたのが印象に残っている。ここにいるよ。たっくさん加藤さんに助けられた人がいるんだよ。会えなくたってずっと加藤さんが頑張ってくれていたこと知ってるよ。私の勝手なエゴかもしれないけど、アイドルという仕事が成り立つためには、やっぱり沢山の愛や声援が必要なんだなと感じた。

 

「LVE」の後半からは、モニターが透けて彼らの姿がうっすらと見えるようになる。全く見えなかった彼らが見える。そこにはどうしたって壁があるけれど、彼らの存在を信じれば私たちの愛はきっと届く。

信仰がなければ悪意に勝つことはできないけれど、時にその信仰が悪意に変わることもある。それでも、彼らが私たちを救ってくれるのと同じように、私たちが彼らを信じることが彼らにとって救いになっているといいな。自戒の念も込めて、私たちの信仰心で彼らを苦しめることがもう二度とないようにしたいと思った。

 

それから最後に、3人の優しさや逞しさが痛いほど伝わってきて感無量であったのは勿論だが、このドキュメンタリーを見て一番に感動したのは「人間にこんなに綺麗なものが創れるんだなあ」ということだった。私は優しくもないし心が綺麗な人でもないから、私がこんなふうに生まれた世界を恨んでいる。自分が嫌いだから、自分を取り巻く世界まで嫌いになってしまった。できたら生まれなければよかった。そうしたら楽だったのに。「生まれなかったことにしますか?」と聞かれたら、多分、はいと答える。

けれど、NEWSの創り上げる世界はいつも信じられないくらい綺麗だ。演出、衣装、照明、私たちでは絶対に気が付かないところまで拘った愛の世界は、全てを忘れられるくらい美しい。NEWSを好きになって、「神は細部に宿る」という言葉は本当だったんだと知った。私はNEWSのメンバーが大好きだが、何よりも一番好きなのは「NEWSが連れて行ってくれる世界」だ。辛くても、悲しくても、こんなに綺麗な世界が見られるならまだ生きていてもいいかな、と思う。

 

STORYの最終公演での増田さんの挨拶と、「クローバー」の増田さんパートの歌詞が忘れられない。

「どんなに辛いことがあっても、ここに来れば楽しいこと、楽しい場所があるよって、居場所があるよって伝えたかった」

「優しい君が探してた場所が 僕らの愛したココだといいが

逃げる場所に したっていい 辛くなるなら、聞かなくていい」

 

確かに、彼らへの信仰が度が過ぎてしまい、神格化してしまったりするのは良くないことなのかもしれない。加藤さんは好きになりすぎないことが大事なんだと言っていたのに、私は4人だったNEWSも、3人のNEWSも好きになりすぎてしまった。でも、辛くなったら逃げてきていいんだと、彼らが言ってくれた。私の居場所はここにある。これからも生きていける。NEWSは優しいね。貴方達が湿っぽい男だから、私もこんなに泣き虫になってしまった。

NEWSが終わりを迎えるときは、そう遠くない未来にあるのかもしれない。ずっとステージに立ち続けてくれるかもしれない。どちらにしても、最後のその時までNEWSが創る世界の一人でありたい。世界一大切だよ。ありがとう。